日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

遅ればせながらのヴァレンタイン報告

とりあえず、仕事の波をひとつ越えて気が楽になったhirofmixでございます。皆さま如何お過ごしですか。ゆら嬢もお元気ですか。
そういえば今年のヴァレンタイン・デーはいつもとひと味違ってました。突然女性からチョコレートのかわりにCDを贈られましたよ。いや単純に昔貸した(そして貸した事も忘れていた)CDが帰ってきて、貸した相手の女性(というか女子高生。貸したのは確か中学生の時)から「長々と借りたお礼に」といっていただいたのですがね。ちなみに貸した(そして貸した事も忘れていた。だから内2枚は買い直した)CDは次のとおり。

サニーデイ・サービス

サニーデイ・サービス

MODERN LIFE IS RUBBISH

MODERN LIFE IS RUBBISH

ステレオタイプ A

ステレオタイプ A

ラプンツェル

ラプンツェル

いやしかし戴き物のCDはいいですね、まず自分の趣味嗜好からは聴くことのない音を耳にすることが出来ます。とりあえずはTRICERATOPというバンドのCDを聴いてみましたが、いやーお若い。近い内に戴いたCDも紹介しましょう。
おまけに夜は女性と二人だけで夕食を伴にしましたよ*まあその女性ってーのが町内きっての腐女子なので、その手の話題が嫌いじゃない(しかし決定的についてはいけない)俺がストレス発散相手になっているという、色っぽい展開のかけらもないのですが。残念ではあります。とりあえず鶏と大根の煮付けはありがとう。まあ、42にもなったしね。色々ありますよ、人生。(*3月3日追記:夕食をいただいたのはヴァレンタインではなくて誕生日の夜でした。慎んでお詫び申し上げます。ごめんなさい透耶様)

胸の底の熾火のように

「夏彦の写真コラム」傑作選〈1〉 (新潮文庫)

「夏彦の写真コラム」傑作選〈1〉 (新潮文庫)

The best of Natsuhiko-Yamamotoである、ようするに。たまたま今さっき手にして読んだのだ。
有名な短文の終わりを引用する。

荷風の人物は彼が好んで援用した儒教的モラルからみえば低劣と言うよりほかない。それなのに荷風は今も読まれこれからも読まれ、日本語があるかぎり読まれるのは、ひとえにその文章のせいである。その文章は「美」である。荷風は日本語を駆使して美しい文章を書いた人の最後のひとりである。おお、私は彼を少年のころから今に至るまで読んで、恍惚としないことがない。些々たるウソのごときケチのごとき、美しければすべては許されるのである。
 山本夏彦「美しければすべてよし」より

この文庫には引用した文末の次頁に永井荷風翁の写真があって、これがまたどのような理由であれ近づきたくはない人としての要件をその顔だけで満たしている。山本夏彦の短文はその短さ故か、読み終る度、胸の底の熾火のありかを知らされることになる。