日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

草臥れて、つれづれに

ひどく疲れやすくなった、と実感することが多い。四十一歳の春をすでに超え、バカボンのパパと同い年になったせいではあるのだろう。が、それでいいのかと云えば全然良くはない訳で、これでも「何とかしなければ」と日々思っている。思ってはいるが何もせぬままもうすぐ冬の声さえ聞えてくるのではないか。何とかせねば。
と、云う訳で、最近になって水泳道具を買った。
水質調査のために何年ぶりかでプールに体をひたした時の気持ち良さが、インドアな俺を運動へと駆り立てたのである。
水泳パンツ、ゴーグル、水泳用の帽子、タオル、道具入れ。
特にゴーグルには感動した。近視向けの、ゆるい度の入ったゴーグルと云うのが世の中にはあるのだ。三千円近くもしたのだが、その視界の良さには抗し難い魅力があった。
だのに、まだプールに行けていない。
忙しいとはいえ何とかせねば…麗しい土曜日の休日を一日寝て過ごすのはもう勘弁したい。今週来週はひどく忙しいのだが、何とかせねば。


たぶん、規則正しい生活が大事なのだと思うのだ。最近読み返した季刊誌「考える人」2005年春号のページに、坪内祐三の紹介する吉田健一のこんな言葉があって。

やはり大事なのは、毎日を同じ調子で暮らすことですね。第一そうしなければ、刻々の変化が楽しめない。繰り返しですよ。そうやって時間になじんでいく。なじむほど時間は親しいものになります。帽子屋ならここの帽子屋、仕立屋ならここの仕立屋というのと同じことです。そうなるには長年かかりますがね。

音楽であれ言葉であれ、自分の身のまわりのことがらをじっくりと感じとりたい。たとえば果物がうっとりと実っていくように、誰かの、何かのスピードで生きるのではなくて、自分のスピードで、自分のリズムで生きたいと、草臥れた頭も体も欲してる。そうするためには、どうしたらいいのか。
そんな問いかけを問いかけのままで終らせたくない、という気持ちは、ここ最近強くなっている。こういう問いかけは、誰だってそうだろうけれど、毎日の暮らしの中でいつも浮かんでは沈み込んでいく。