日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

焚火

hirofmix2006-04-23

ヒロクロ復活の狼煙という訳ではないが、夕方庭で紙ゴミを燃やした。土を掘って、燃やす紙に灯油をかけて、十分ぐらい燃やした。燃え残らないようにゴミをスコップでかきまぜながら、最後は土に埋めた。昔読んだエロ本が燃えていく様は、なかなかに風情がある。
本当はもっと燃やしたかったのだけど、たかだか十センチばかりの穴(というか凹み)で燃やすものだから、ささいな風でも火のついた紙が舞い上がりそうになる。もうもうと煙があがったりして、知り合いも多い消防署が鐘を鳴らして来られるのもかなり気まずい。だいたいダイオキシンだか何だかで、ゴミを燃やすのは禁止されているのだ、たぶん。
子どもの時は、ゴミを燃やすためのドラム缶が家の庭にあって、ゴミを燃やすのは子どものおれにとって数少ない家事のひとつだった。家の手伝いの記憶など思い出せないが、さすがにゴミを燃やした記憶は忘れない。それだけ「火」というのは心躍る存在なのだ。そういえば札幌にいたころ、大学からの帰路の途中に火事の煙を見つけ、後先考えずに通学用カブを煙に向かって走らせたことがある。ついには煙の元まで辿り着けなかったのだが、江別の大麻から出発して、辿り着いた先は千歳だった。心躍るドライブだった。よく考えれば不思議だけど、燃えている火を見るのは本当に飽きない。心がしんしんと静かになっていくのがわかる。


やはり、今年は焚火をすべきなのだ。去年も一昨年も機会を逃しているが、インドアなおれがキャンプ道具一式を揃えたいと思い続けているのは、ひとえに焚火をしたいという欲望故である。焚火ができるキャンプ場(最近は草木を痛めるので焚火を禁止しているキャンプ場が多いのだ)が近場にあるし、それ以外の候補地も二三見つけてある。ただキャンプ場以外の場所で焚火をするとき、煙があがっても大事にならないようにするにはどうしたらいいのか、よくわからないのだが。
まあそんなことはどうでもいい。雪も溶けだして、やっと春が戸口の前でベルを鳴らそうとしている。まあたぶん連休までにはもう一度は降るだろうが、今年こそは焚火をしよう。薪も用意しなきゃ。楽しくなってきたな。

ということで、復活しました。またよろしく。