日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

レンタルCD屋あれこれ

前からずっと思っていたのだけど。
CD 売上減を考えるときに、こと日本だと「貸しレコード屋」「レンタルCD屋」の存在って無視出来ないと思っているんだけど、違うのかしら。

ケーススタディ1:職場の若い同僚A君の話
職場の焼肉パーティーでの話。彼はここ数年 CD を買っていないという。おいらが「CD 買うのが楽しみ」と言うと「そんな中学生みたいな…」と彼は呆れていた(嘘ぉ)。じゃあどうやって音楽を楽しんでいるかと云うと「レンタルCD屋」という事になる。「レンタルCD屋」で借りた CD を、MD に落として楽しんでいるそうな。
ケーススタディ2:やはり職場の係長B君の話
係長の車に乗っていると、係長お気に入りのアヤヤの曲が流れてきた。車載 CD プレーヤーなんで他のトラックを聴いてみると何故かミスチルが流れ出す…ん? 新しいコンピ? ではなくてもう察しがついているとは思いますが CD-R なんですね。係長の話だと、彼も「レンタルCD屋」でCDを借りて、車に積んでおいたノートパソコンでその場で全部リッピングして返却するんだそうです。で、車で聞きたいのは後で CD-R にするそうだ。

勘違いしないでほしいのは、おいらはここでリッピング自体を非難している訳じゃない事です。俺だって買った CD は iMac に入れて iPod にぶち込んでいるからねぇ。そーじゃーなくて、こういう「CD は買うんじゃなくて借りるもの」というスタイルが、すでに一般的な音楽の楽しみ方になっているという事に、おいらはしみじみ驚いている訳です。
町内一の無駄なアーカイブ保持者で音楽好きの Axeman 氏としみじみ話したのだけど、おいらとか Axeman 氏は好きなアーティストの CD はいくらただでもらえても、やっぱり買うんですよね。そりゃ若くて金のない頃は、おいらも彼もレンタルしてましたけどね、それは何と云うか「仮の状態」な訳で、やっぱり買うのが当然だろうという常識があったですよ。それは今でもそうだしね。アーティストの CD を買う事で所有欲を充たす、という古風な欲望もあるし。
今、どれぐらいの人たちが、うちの職場のA君やB係長みたいな「音楽の楽しみ方」をしているのでしょうね。たぶん二人とも「音楽? けっこう好きですよ」ぐらいの返事はすると思うのだけど、彼らは普通なんでしょうか、それともレア・ケースなんでしょうか?

「音楽を聴く」という行為は、それがどんなジャンルのものであれ、どこまでも個人的なもので、その個人的な営みを無視して漠然としたマスを対象にして音楽作りをしていると、痛い目にあうんじゃないかしらね。もうあってるのかしら。
レンタルCD屋が買った10万枚と、リスナーひとりひとりが買った10万枚とは、そもそも意味が違うでしょう。ふところに入るお金はたとえ同じでも。

上の話とは直接関係ないんだけど、
おいらは二十代の中ごろ、まだ大学生だったのだけど、その頃からレンタル屋でレコードや CD を借りるのは止める事にした。やっぱ高いけど、買う枚数が少なくてもいいから CD を買って高い金払って痛い目にあわないと、音楽に対するセンスが磨かれないんじゃないかと思ったから。テープに録音したぐらいで「音楽ファンです」とはいいづらいというセンスが、その頃の自分の中に出来上がってきてたのだと思う。その決断は今でも間違いなかったと思っている。
しみじみ随筆。ではでは。