日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

東浩紀氏の災難

はてなアンテナをチェックしていると「はてなの杖日記」(id:munekata)の更新記事に「東浩紀はてなダイアリーから撤退か」とかかれていたので驚いた(東氏のはてなダイアリはこちら→id:hazuma)。で、当該サイトを見てみたら、まぁ大変なことになってました、そのコメントの多さ! でまぁ色々とあって今回の休止ということのようですが、部外者からぱっと見たところは「お可哀相に」ということしかいいようがない(別においらがそう言う必然性も何もないのだが)。
すでに当該サイトに何らかのコメントを残すこと自体が、その内容如何に関わらず、今の東氏には苦痛以外の何ものでもないだろうと思われる。

今回の一連のことに限らず、どうもインターネットでの言葉の交換には、ちょっと首を傾げたくなるような態度の人たちが多い。それはいわゆる“荒し”なんかもそうなのだけど、例え批判的内容ではないにしても同様に思えることもある。それは言葉の内容ではなく、その内容を伝える時の態度であり、具体的には言葉の書き方である。
誰であれ「お前なんか嫌いだ」と言われれば面白くはないし、見当違いの賛美や仲良さげな振る舞いでさえ、当の相手には不愉快以外の何ものでもない、という事は常識だろう。言葉を届けるべき相手と自分とがその常識を共有できていると思えたにしても、その思いは常に相手の反応の中で調整されていくものだ。その努力を例え顔の見えないインターネットだからとはいえ、放棄したような振る舞いはやはり慎みたいと自戒する次第である。言葉の背後には血の通ったひとがいるのである。

おいらは東氏の著作は読んだことがない(対談集はちょろっと読んだが)。だからその思想とか考えについてうんぬんする気もないし、することも出来ない。ただ今回はてなダイアリに参加したことについては単純に「お、面白いじゃん♪」と思っていたのだ。そもそもがアメリカ発のblogが日本に紹介され定着しつつある中、この「はてなダイアリ」が、blogとは異なる日本発のツールとして独自に展開したことの評価が始まっている(とおいらは思っている)状況において、東氏の参加はそのフィールドワークといえるものだろうと理解していたからである。まぁそんなこと書かなくとも単純に面白いなぁと思っていただけなのだがな実は。
今回の一連のことがフィールドワークとして役立ったかというとどうだろうか。こういう個人攻撃は(相手の有名無名に関わらず)わりとネットではよくあることだから、結局は「インターネットじゃよくある話だよね」という、至極つまらない結果になりそうだ。おいたわしい話である。
まぁ一度だけ言わずもがなのコメントをしたおいらとしては、ただただオフ会が東氏にとって心楽しいものになることをひっそりと願うばかりである……とまぁ、結局おいらも書かなくても良いことを書いてしまった。ただ私自身のためだけに。

書いていて気づいたのだけど「東氏」と「あずましい(北海道弁:落ち着く、ゆっくりできる、しっくりするの意)」は似ている♪
ではでは。