日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

何かが失われていく

hirofmix2006-05-28

この前お昼のテレビで、たしかTBSの『http://www.tbs.co.jp/kyouhatsu/』だったんだけど、最近の若者の傍若無人な振る舞いを映した映像を見た。
多くの人が憩う川べりで大声を出したり架橋下で昼間から花火をしたり、裸で川の中ではしゃぎまくる者。
人前で恥ずかしげもなく煙草を吸う高校生。
電車のホームに地べたにすわる女子高生達(10人ぐらいはいた)。
満員の電車の通路に座って弁当を食べる高校生。


身中から力が失われていく。どうしてこういうことになったのだろう?
「近ごろの若い奴は…」
そう思った時点で、さらに力が失われていく。こんな感想を持つほど俺はもうオヤジだったのだ。
それはもうどうしようもなくそうなのだけど、そんなことよりも大事なのは、俺がこの場にいたら、どうすればいいのか? という事だった。
そう考えると、また力が失われていく。映像に登場する彼ら彼女らはもちろん一人じゃない。十人近くはいる集団だ。若いからというのもさることながら、そういう集団に立ち向かわなくてはならないのかと考えると、例えば腕力がないとか度胸がないとか、そういう無力感に襲われるはめになる。
もちろん「ほおっておけばいいじゃん?」という回答はありえる。ありえるけれど、ほおっておかれた結果が、彼ら彼女らの振るまいではないのかと考えると、無力感に憂鬱が加わる。テレビカメラに身近な世界での正義感まで肩代わりしてもらうのか。


昔、大学生だった時、小雨降るバス停の小さな待ちあい小屋で、制服のまま煙草を吸う男子高校生と出くわした事がある。
俺だって17の時から日本たばこ公社を通じてせっせと税金を納めてきた人間だから、煙草を吸う事自体をどうこういうつもりは毛頭ない。いやまぁそれも悪いんだけどさ。でも「いやまぁそれも悪いんだけどさ」という一言を挟みこんでしまう程度には、未成年の喫煙は法律違反であるという事実を理解していたから、自分が高校生の時は人前では絶対に喫煙しなかった。学校で煙草を吸う奴は馬鹿だと思っていた(今もそう思う)。俺がその高校生に言いたかったのは「カッコ悪いから止めろ」という、ただそれだけなのである。
でも、言えなかった。相手はひとりだったというのに。年長者らしい振るまいなぞこれっぽっちも出来はしなかった。


もちろん彼ら彼女らが若者の全てという訳じゃない。少数かどうかはともかく、彼ら彼女らを若者一般だと声高に言い募りたがるテレビの振る舞いに同調してはならない。けれども、自分でさえ不快になる振る舞いを行う奴らがいて、彼らへの言葉ひとつ持ち合わせていないだろうという自分を思い起こすと、せめてテレビの電源を落とすぐらいしかやれることはないのだ。
ただ思うのは、彼ら彼女らが自分たちと別ではないこと。彼ら彼女らは、俺達の行動の鏡なのだということ。
…結局、そう思っただけにすぎない。行動した訳じゃない。行動する分まだ猿の方がましだとさえいえるが、不用意に卑下するのも差し控えるべきだろう俺。


こういう風にして、いつか自然と、何もかもが失われていくのじゃないのか。

結局それしか繋いでいくものはないのさ

じゃあ僕らにできるのは何かっていうと(もしかするとそれがイヤで、さんざん逃げてきたかもしれないけれど)自分の「好きなこと」をわかってもらうしかない。だって、もう誰も「楽しい」とか「正しい」とか、言ってくれないから。もう「個々に」「個人が」これをするしかない。
これ(私達が好きなもの)は、私達が「オタク」だから選んだんじゃない。
私達は「それが好き」だから、選んだんです。

http://d.hatena.ne.jp/zozo_mix/20060527#1148745190にアップされている、岡田斗司夫のロフト・プラス・ワンでの講演のレジュメより抜粋しました。えーと、気になる方は全文読んでみて下さい。特にY嬢には読んでいただきたいなぁ。ヒロクロなんか教えてないけど。けいちゃん、よろしくお伝え下さい(笑)。
おっと、こいつも追加しておこう。手厳しい意見ではあるが確かに頷ける。
*「404 Blog Not Found:ハッカーとオタク


(photo by "Cyron")