日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

「絶対領域」とは

これが「まゆら」。うちにもあります(

Lunatic Bar : 絶対領域 - livedoor Blog(ブログ)
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絶対領域とは - はてなキーワード

ミニスカートから覗く太もも、個人的にはエスカレーターの後ろから見た時の太ももには、性行為への予感を視覚的に感じとることが出来る。そもそもスカートという服それ自体が性行為への予感を視覚化したものだと言えるだろう。自らの処女性を保持したい少女がスカートをはきたがらないというのはよく聞く話である。ちなみに宮崎勤は「女性の太ももは神様である」と言ったときくが(谷崎潤一郎の発言みたいだな)、たぶん彼は女性の太ももをいつも背後から見ていたのだろう。
<ある女性の太ももに触れられるなら性交は可能である>との予見によって太ももは、胸やお尻に並んで男性が激しく欲望する女性の部位であり続けた。そして胸やお尻以上に性行為への予見を促すと云う意味で太ももは多くの男性を魅了し続けて止まない。それはエデンの園への扉の前なのである。「絶対領域」と呼び習わされる所為である。すでに問題は「萌え」から「男性」性へと移行している事に注意を即したい(笑)。
しかし「名は体を表す」というとおり、そのやわらかな場所を「絶対領域」と名づけた時点で男達は自らをその場所に辿り着けない存在と位置づけている。正確に言えば「自分以外の男性をその場所に辿り着けない存在」として位置づけている。「神聖にして不可侵」としているのは常に男性の側であり、そうすることによって男達は性行為へのポテンシャルをあげ続けて来た。聖なるものを侵犯し続けるのは、それを聖なるものと規定した聖職者のみである。

女にとって自分はただの女である。だから、と言うと唐突に聞えるだろうが、今でもわたしは、実感から男の性欲を考えるようには、女の性欲を考える事が出来ない。当たり前の話だが。たぶん男の性欲が静的なのに比べ、女性の性欲は動的なものだからだろう。「女性はムード・雰囲気に弱い」などというのは、そういうことじゃないかと思う。
ちなみに、女性にとっての男性の好きな部位には「背中」と「手」がよくあげられる。顔の見えない「背中」がその広さ故に、男という存在の社会性を連想させるのと違い、ここでの「手」は、男性にとっての「絶対領域」たる太もも等と比較して論ずるべき対象であろう。男達の太ももへの視線が静的であるのに比べ、女性が欲望する「手」が動的な部位である事にも興味が惹かれる。

コメント文が長くて書き込み出来なかったのでここに書く。しかし同窓会帰還後最初の文章が「絶対領域」とは…