日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

また「別の図書館」へ行く

 土日を休日として過ごせるのは素晴しい、とは前にも書いた。ずいぶん前にシフト制で勤務していた時は月曜日しか固定の休日がなかったから(しかも別件で職場に出る事も多かった)、仕事と休みのリズムをうまくつかむ事が出来ないままあえなく異動となった。正直いまだって上手に休日を過ごせているとは言えない。土日というニンジンを前に駄馬の如く走り、ドタドタと休日に倒れ込む1週間を繰り返している。
 しかしここ二週間、土曜日の図書館でひとりぼんやりと本を読むのは休日の過ごし方として悪くないと思う。今日は読みかけの「1Q84」の第二巻目を少し読み、同じ作者の訳詞集「村上ソングス」を借り出した。和田誠の絵の上手さに今さらながら気づいたのが自分でも呆れてしまう。

村上ソングズ

村上ソングズ

 古いジャズソングからR.E.M、ブルース・スプリングスティーンビーチ・ボーイズ、ほぼアメリカで生まれた数々の名曲に村上春樹が訳詞をつけたこの本を読んでいると、ふと大げさに「世の中は本当に進化しているのだろうか」と思ってしまった。iPad発売に浮き足立つ俺がそんなことを言うのは根本的に間違えている気がするが、たとえばナンシー・ウィルソンの歌うこの「幸福はジョーという名の男(Happiness is a thing called Joe)」のシンプルで素直な歌詞を読んだあとに、こういう歌がどうして今はないのだろうと思ってしまう。それはやはり、あまり楽しくない気がしてしまう。
 よく言う老化現象による過去の美化でしかない、冷静に考えればそう思う。そもそも俺の生まれた時からそんな心持ちの歌はなかったのかも知れない。ただ単純に、俺が今の歌をよく知らないだけだろう(そもそも原曲を聞いた事もない癖に言うものじゃない)。

"Happiness Is a Thing Called Joe"(Lyrics by: E. Yip Harburg/Music by: Harold Arlen)
「幸福とはジョーという名の男」(訳詞:村上春樹


It seem like happiness is jus' a thing called Joe.
幸福というのは、ジョーという名の一人の男に過ぎないのだろうか。
He got a smile that make the lilac wanna grow
彼が微笑むと、ライラックの花だってしっかり咲いてしまいたくなる。
He got a way that make the angels heave a sigh, When they know little Joe's passing by.
リトル・ジョーが通りかかっただけで、天使たちだって思わずため息をもらしてしまいそう。


Sometime the cabin gloomy and the table bare.
ちっぽけな、気の滅入る部屋 むきだしのテーブル
Soon he kiss me and it's Christmas everywhere
でも彼にキスされると あたりはもうクリスマス。
Trouble fly away and life is easy go
いやなことなんてどこかに吹き飛んで あとはなにしろ素敵なことばかり。


Does he love me good? That's all I has to know
ああ、彼は私を愛してくれているかしら? 彼女の頭の中にはそれしかない。
Seem like happiness is jus' a thing called Joe
だって幸福とはジョーという名の一人の男にすぎないのだから。


Little Joe, little Joe... little Joe
リトル・ジョー 素敵なリトル・ジョー

 シンプルで、素直で。