日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

人生を「からっぽ」だ、と思っている人のために

考える生き方

考える生き方

「極東ブログ」「finalventの日記」でおなじみの…おなじみじゃないかしら、finalvent氏が著した「考える生き方」を読了した。久しぶりに読後感想を。
 この本を読んだfinalvent氏ファンにとって驚きだったのは、氏が結婚しており、しかも子どもが4人もいる(その内一番下の長女はテレビや舞台にも出る子役だという)ということだろう。何せブログには家族の話は書かれていなかったし、たまに自作料理のレシピなんか書かれていたせいで、独身だろうと思っていた。
 ネットの評判もほぼ好評で、特に「琥珀色の戯言」での読書感がその代表のような感じであるが、そんな中、麦飯に混ざった小石というか、山形浩生の罵倒が際立っている。読んでいる途中でこの感想を読むと、ファンとしてはかなり気分を害するのだが、読了すると、うん、そうだな、それはそうだ、という感触に実は落ち着く。
 確かにそうなのだ、この本は山形氏が書くとおり「己の平凡な人生をとつとつと変な諦念をこめて語る」「他人の、特に華やかではなくそれなりに挫折やトラブルはあるにしても、まあ普通の人生」を記した「歳寄りがよく、自費出版でだれも読まない自伝とか警世の書を出したりするが、まさにそんな感触」の本である。著者も書いているとおり「自分語り」の一冊、なので「極東ブログ」ファン以外の人は、面白く読めないだろう、今はきっと。
 この本は本文に入る前の「はじめに」が表紙になっているという装幀なのだが、そこにこういう“つかみ”の文がある。「自分の人生はなんだったんだろうとかと思うようになった。なんだったか?からっぽだった」。この一文がちょっとした「踏み絵」である。
 55歳になって自分の人生はからっぽだったと、振り返る。そうか虚しいのか人生虚しいんだな、と思って読んでいくと…うむ、20代で学問の道を閉ざされプログラマーとして社会人となり、思いがけず30代に10歳年下の女性と結婚……結婚? 第一子出産の際にはフリーランスということもあって妻の故郷沖縄へ移住、結局三男一女の父親になるも40代には多発性硬化症という「難病のなかでは患者が多い」病気を罹患、しかし家族に支えられてここまで生きて来た……いやあなた、全然からっぽじゃないよ、からっぽじゃないししかもドラマティックだよあなたの人生。本人だってこう書いている「結婚して家族がもてて幸せだったかと問われるなら、自分にはこれ以上の幸せはないと思う。この点は、本当に幸運だったと思う。もっというと、これが自分の人生の意味だったとして十分に満足のいくことだった」(130ページ)
 この本の感想の中で「普通の人が、普通に生きている姿」を読んでいるようで、そこが良いというのがわりと多いのだけど、この「普通の人」っていうのが、少なくとも僕の思う「普通の人」とは異なっている。僕の想像する「普通の人」であれば、家族について振り返り「これが自分の人生の意味だったとして十分に満足のいくことだった」と考えるのなら、人生がからっぽだとはきっと考えない。「普通の人」が人生の意味を思う時、その答えは家族、特に子どもの存在によって導かれるはずだから。誰にも読まれない「自分史」よりも、あなたの子どもの存在が、あなたが生きていきた証である。なので、ここでいう「からっぽ」というのは、失恋して辛いとか就職できなくて死にたいとかリア充死ねとか、情報商材で年商5億とか「いつかはゆかし」で老後も安心とか、人生の負け組勝ち組どちらの側の人間も等しく背負い込んでいる「からっぽ」な人生、ということだと思う。ほとんど色即是空である。
 瞬間瞬間の人生の局面で「人生は虚しい」と思うことは、誰でも少なくないだろうけど、それなりに幸せな家族を持ちながらも「人生はからっぽだ」と思うような人間は、まあ個人的には「普通の人」とはちょっと別だと思う。そういう“ちょっと別な人”のために、この本は書かれている。「普通の人」のように親ばかにも馴染めず、難病を前にしても宗教に走らず、野球その他の熱狂に忘我することもなく、淡々と考え、どうにか了解していく。55年の人生の中でfinalvent氏が遭遇した善きこと悪しきこと、その出来事とその受け止め方、考えの過程をとつとつと記したのが、この「考える生き方」という本である。
 その文体は好悪が別れると思うが、僕は面白く読んだ。これからもちょくちょく思い出して、読みなおすことがあるかも知れない。最後の方はちょっと息切れして、足早やすぎたように思うけど。
 伊藤聡さん、頑張って下さい。お気持ちはよくわかります。