日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

もう何度目の夏

 6月だというのに、ほんの数日前まではストーブを焚いてしまうような朝が続いていた。なのに昨日の土曜日は、曇り空なのに心地よい気温。何もなかったような顔をして、季節はもう夏に変わってしまったのかも知れない。
 年齢を重ねる毎に陽の暖かさが心地よく、何ごとかの恩寵のように感じられるようになってきた。面白いなと思う。こんな風にして、見るもの聞くもの感じることが、年齢によって異なる表情を見せ、そんな体験の総体がまた見ているもの、聞いているもの感じていることの表情に新たなニュアンスをつけ加える。
 昔取るに足らなかったもの、疎かにしていたものがどれほど大切なことだったのかが、年齢を重ねてくることでわかってくる。もう少し早く、そんな風に世界を感じ取ることが出来たなら、今見ている以上に世界を陰影深く、色合い美しく感じ取れたことだろう。けれども僕を含めた多くのひとはきっと、失わなければ気づくこともない。失ったことにさえ気がつかずに死んでいくことも数多く存在する生のひとつだろう。そう考えると人生の残酷さがよりくっきりと理解出来る。
 いま夏は産声を上げ、春はもう息を引き取った。