日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

正直と決意

「新年ですね」と始まりの文章を書いてから、すでに1月は終ろうとしている。年末から新年にかけてまぁ色々な事があって、それは言い訳に過ぎないけれど気がついたらこの体たらくである。
 昔は新年3日をマスター氏ご夫妻、アメリア氏と楽しく過ごすのが恒例となっていたが、去年からこちらの都合で中止になってしまった。しかも今年から正月休みが一日早まり、今までの「3日札幌・4日帰宅・1日余裕をもって6日から仕事始め」という予定が組めなくなってしまった。酒に溺れて4日に特急で帰宅、翌日5日はさっそく勤務……というタイトスケジュールは年齢的に厳しい。という訳で今年もどこへ行くこともなく、実家で正月休みを粛々と過ごすことになった*1
 どこに行くこともないなら本ぐらい読もう…と、図書館から何冊か本を借り出した後になって「今年最初のブログはあの本の感想から始めよう」と思いつき、思いついたはいいがすでに家を出た後だった。今さら取りに戻る訳にもいかない。無駄とは思ったが書店で文庫本を買い、正月1日の午後には読み終えた。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
 僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家は僕に向ってそう言った。僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧な文章なんて存在しない、と。
 しかし、それでもやはり書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕の書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。
 8年間、僕はそうしたジレンマを抱き続けた。―8年間。長い歳月だ。
 もちろん、あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの苦痛ではない。これは一般論だ。
 20歳を少し過ぎたばかりの頃からずっと、僕はそういった生き方を取ろうと努めてきた。おかげで他人から何度となく手痛い打撃を受け、欺かれ、誤解され、また同時に多くの不思議な体験もした。様々な人間がやってきて僕に語りかけ、まるで橋を渡るように音を立てて僕の上を通り過ぎ、そして二度と戻ってはこなかった。僕はその間じっと口を閉ざし、何も語らなかった。そんな風にして僕は20代最後の年を迎えた。


 今、僕は語ろうと思う。
 もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるのかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。
 しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく。
 弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。つけ加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。

村上春樹風の歌を聴け」第1章より引用)

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 村上春樹を最初に教えてくれたのは、演劇部の先輩のYさんだった。その時彼は文芸誌「群像」に一挙掲載された長編作『羊をめぐる冒険』を手にして、僕にムラカミハルキという新しい作家を教えてくれたのだ。それから僕はこの『風の歌を聴け』を読み、二作目の『1973年のピンボール』を読み、高校二年の冬には古いダッフルコートを着て、北見市内のピンボール・マシンを探して遊んでいた。形から入っているのが実に高校生らしい。その程度には影響を受けていたのである。
 折りにふれて何度か読み返すのだけど、今でも冒頭の「今、僕は語ろうと思う」という言葉が、読む度に胸に来る。そう書いた村上春樹の「決意」が、とても貴いものに思えるからだ。「いったい何をそこまでしまい込んでいたのだろう」とも想像させるし、逆に「そこまで胸の内に、言葉をしまい込んでいることが出来だろうか」と問いかけても来る。
 大体この何年間か、ぎりぎりな場所まで自分を追い込んで「決意」したことなんて、あっただろうか。まあ…ない訳じゃないんだけど、それにしても。

 引用した冒頭の一節に続く文章は、「正直」と「救済」といふ死語に近い言葉を「僕」が大真面目で用ゐてゐる点で注目に値する。現代の「批評家」は「正直」な言葉を「正直」に受け取らないから、当然のごとく右の類ひの言葉は等閑に付され、今の時代の風俗を最も過激に表した個所が注目の的になつた。そのことについては後に再考するが、仮にいま作者の言葉を素直に受け取り、「僕」の語ることに耳を傾け、「風の歌を聴け」といふ指示に従ふと、どのやうな風のどんなメロディが聞こえてくるのかー
 この問に対する答へがすぐさま返つて来ないのは、「正直に語ることはひどくむずかしい」と考へる「作者」が正直な伝達のための工夫をこらしてゐるからである。工夫とは即ち、「小説を書く」ことに他ならない。
(中略)
 重複を恐れず引用を重ねるのは、村上春樹が首尾一貫して「正直」といふ語を使ひ続けたことと、「正確」な「思い」に信頼する彼には疑ひもなく「求めている」何かがあつた事実を確認するためである。「表現」をめぐる問題の袋小路に入つてゐるように見える彼は、いささかも「言葉と思惟」に関する、例えばヴィットゲンシュタインの哲学などに助けを求めない。あくまでも自前の、「僕としては自分の気持ちをただただ正直に文章に置き換えたかっただけである」(同右)といふ単純な信念を反復する。この単純さこそ、本当はエズラ・バウンドやW・H・オーデンのやうな現代詩の革新者が抱き続けた信念であり、大成に必要な表現者の愚直さに他ならなかった。良い詩とは表現と表現されるものが一致した詩であるといふ類の詩論を書いた(バウンド「真摯(シリアス)な芸術家」、オーデン「書くこと」)。
 複雑さは、表現者の生の源を共有しない者がテキストを外部からいぢくる時に生じるので、表現者にとつてそれは分割不可能な全体としてある。無論、最初から複雑巧緻を競ふだけの作品は論外であり、その種の「作品」の底は作者の意図の浅薄さと共に割れるが、偉大な作品は全て単純さに導かれた複雑さを宿しもつてゐる。
(井上義夫「村上春樹と日本の『記憶』」第1章より引用)

村上春樹と日本の「記憶」

村上春樹と日本の「記憶」

 往々にして僕たちは、自らの思いを表現しようとする時、そこいらにある誰かの言葉、誰かの思想を拝借して(自分自身気づかない内に)、サイズのあわないジーンズに無理やり足を突っ込むように、出来合いの言葉で間に合わせ、何事か語ったような気になるものだ。ここで言う「正直」さとは、自らの思いを自らの言葉で語ろうとする意志に他ならない。
 …高校生当時の僕が、そんな風にして『風の歌を聴け』のメッセージを読み取っていたかと言えば、そんなことはなかったろう。ただ強いて言うなら、僕もまた「正直」であろうとしてはいた。では何に対して「正直」であろうとしたのかと問いかければ、結局「自分自身」に対して「正直」であろうとした、というだけのことである。そのことで幾人かの人達を傷つけて来たろうに。それで自らを「正直」だと思っていたのだから、お笑い草である。


 このまま新年最初の文章を終らせるのも気持ちが塞ぐ。それに最近は結構楽しい時間だって過ごしているのだ、まる一日寝て過ごすような休日があったとしても。今年は珍しくいくつかの目標も立てた。考えなきゃならないことは沢山あるし、それ以上にやらなきゃならないことも沢山ある。


 新年明けましておめでとう。今年もよろしくお願いします。

*1:と言いつつ2日には麻雀大会に参戦した。辛かった…