日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

おんなのはだか

 "ShuffleSaver"というMac用スクリーンセーヴァーがあって、私のiMacは30分もぼんやりしてるとそいつが稼働しはじめるようになっている。こいつは写真サイトの"Flickr"から検索文字に添った写真を順次写し出すという簡単なソフトなのだが、わたしの場合検索文字はたったひとつの英単語「nude」である。
 もちろん女性の裸を眺めるのが主たる目的に稼働している。とはいえ「nude」しか検索文字がないものだから、当然だというようにノーカットなペニスを写した男性の写真も表示される。まぁずいぶんごりっぱなものをおもちで。決まって胸毛が濃いのはどうしたものか。ロダンの彫像はほとんど包茎だったよな確か。まあそれはともかく、ほとんどの裸が女のそれであるのでおたがい慶賀の至りである。
 しかしそれらの写真はモデルを雇ってプロが撮影したものか、劣情よりもその完成度の高さゆえ美への扉を開かれるようなショットが少なくない。当初の思惑とは異なっているのだが、人には誰しも美しさを希求する準本能がある。ぼんやりと飽かずに眺めて時は過ぎる。
 眺めていると、その表情から察するに親密な撮影者とのやり取りの中で記録されたものだろう、そう想像させるにたる被写体の笑みを写した作品が少なからず現れては感情の水面に小石を落とし、小さな波紋が広がっていく。
 私は小洒落たものに目がないので、こういうナチュラルなプライベート・ヌード(そんな言葉があるのかどうか)には軽く心動かされる。恋人のこんな写真を写せたらな、と思う。そういう欲望はヘンタイのものなのだろうか。そりゃあ私はアメリカ映画といえばポールダンサーのストリップ・シーンがあるかどうか、それをまず夢想するような男である。しかしそのおんなの裸が美しいのは造形以上に、そのやわらかな表情を浮かばせている状況そのものが美しく愛おしいと思うのだが、如何だろう。