日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

「大切なのはマカロニ、じゃないのよ」

女性というか女の子というのは、まったく何で出来ているのかわからないところがある。むかし読んだ村上春樹の『風の歌を聴け』の中で主人公が「ねえ、女って一体何を食って生きてるんだと思う?」と問われて「靴の底」と答える一節があるが、本当に彼女たちときたら、別の時空からやって来て、たまさかここにいるだけじゃないのか、という気さえしてくる。*1
それでも悔しいことに、まれに二人きりで時間を過ごすことになると、ただ飯を喰っているだけなのに(もちろん靴の底を食べている訳ではない)、その時間が特別なものに思えてくるのだからこれは癪である。癪なのだが、何度となく敗北を喫しようとする自分もまたどうかしている、と言わざるを得ない。
そしてたとえば時を経た男女が、この映像みたいなシチュエーションを二人きりで過ごしたなら、そりゃあ中学生男子ならずとも、目の前ではしゃぐ彼女にむかって白旗を揚げ続ける決意をせざるを得ないだろう。その瞬間が永遠ではないのだと、予感していたとしても。

捨て曲なしのアルバム"GAME"に収められたこの曲は、どうしてこんなタイトルなのかといつも思うけれど、まだ答らしい答えを見つけていない。聴くたびに「マカロニ」というタイトルがひっかかって、何か違う意味があるのじゃないかと思いはせてしまう。
そのタイトルが歌詞の中に出てくるのはここだけである。「大切なのはマカロニ ぐつぐつ溶けるスープ」
…マカロニ料理でも作っているのだろうか。そう考えるのがひどく馬鹿馬鹿しい気がしてくる。そんな難しい顔しないでよ、と笑われそうな気がする。彼女の側はそんな風に、いま何が大切なのか(もしくは、何が大切じゃないのか)わかりきっているのかも知れないが、「大切なのはマカロニ ぐつぐつ溶けるスープ」と言われても、男の側はどうしたらいいかわからない。
きっと「答え」なんていうものなんか、そもそもないのだ。「ぐつぐつと溶けるスープ」が大切なのだと彼女が思うその瞬間こそ「答え」なのだろう、たぶん。過去も未来もないこの大切な瞬間を無心に生きること以外に、どう生きればいいというの。「わからないことだらけ でも安心できるの」と、言っているのに。
こういう曲を聴いてしまうと、手を繋ぐ以上の経験をしたはずのやさぐれ中年にさえ、手を繋ぐ時のどきどきが甦ってしまう。まるで彼女に、また負け続けるためのメールを送る瞬間のように。

*1:主人公の真意は「靴の底」→"Rubber Sole(ゴム底)"→"Lover Soul(恋人の魂)"なんじゃないかと、読んだ時からずっと思っているのだが。