日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

それでも恋は素晴しい、という

そういえば、ついに彼の本を読んだのだった。

悲望

悲望

片恋のことなど色々と思い出して、久しぶりに読書をしたという気持ちになれた。本の読み手にはその内容を問わず娯楽として楽しめる人と、どこかしら「人生の指針」として読む人とがいるけれど、俺は紛う事なく後者である(勿論、そのどちらも要素として一人の内にあるものだろうけど)。例えば、長くなるけれどこういう文章に、特別そういった具体的な体験がないにも関わらず胸打たれる事になる。

 しかし、私はなぜそこまで、篁響子に固執したのだろう。虚仮の一念であろうか。そうではない。その理由を、今の私は知っているし、その当時も薄々ながら勘づいてはいた。それは私が、存在の不安に捕らえられていたからである。後に私は「片思いと一神教」というエッセイを書くことになるが、これは私にとっての一神教だったのである。
(中略)私は、東大教授になっても、死ねばこれだけか、という思いがあった。シェイクスピア学者・和泉原教授の死は、父の亡霊が現れてからのハムレットのような状態に私を追い込み、私は『ハムレット』をあまりに明晰に理解したのだ。
 ハムレットは、世界が中心軸を失ったことに気づいた男である。漱石三四郎は、大学を出る、著述をする、世間が喝采する、母が喜ぶ、という未来を思い描いている。若者は、そうした未来を思い描くが、決して未来はそのようには進行しない。当時の私は、三四郎と同じような未来を思い描いていたが、突然、それが、何かあやふやな、とりとめのない、仮にそうなったとしても、死んでしまえば何も残らない、頼りないものに思えてきたのである。そして私は、神経症を病みはじめたのだ。『ハムレット』を理解しただけではない。私は、やはり世界の中心軸を見失った男を主人公とする漱石の『行人』をも理解した。アウグスティヌスも、テルトリアヌスも、トマス・アクィナスも理解した。唯一神教というものがなぜ生まれたのか、そして旧約の神ヤハウェがなぜああも暴慢なのか、それも理解してしまったのである。
 大学院へ入った時点で、既に世界の中心軸を見失っていた私は、まるで鳥の子が孵ってすぐに見た動くものを母親だと思うように、「歌舞伎が好きなんですか」と声を掛けてきた篁さんを、自分の唯一神にしてしまったのである。唯一神であるから、私は目を逸らしてはならない。そして唯一神は、ヤハウェがそうであるように、善良なヨブを苦しめ抜く者でなければならない。そのような、意のままにならない存在であるからこそ、唯一神としての役割が十全に果たせるのである。もしここに、私が恋をした女性が、比較的たやすく私の相手をしてくれたなら、私はたちまち、再び存在の不安に捕らえられることになっただろう。篁さんが、私を拒否して拒否して拒否し抜く姿勢こそが、私に、生きる意味を与えてくれたのである。そして恐らく二十代の私は、いつでも、そのように自分を拒否する女性を、恋の相手として選んでいたに違いないのだ。
小谷野敦『悲望』76〜78ページから抜粋

この文章の「私は『ハムレット』をあまりに明晰に理解した」「漱石の『行人』をも理解した」「アウグスティヌスも、テルトリアヌスも、トマス・アクィナスも理解した」「そして旧約の神ヤハウェがなぜああも暴慢なのか、それも理解してしまったのである」の繰り返しに微妙な面白みがある。そんなことはともかく、もう一度書くと、自分もまた同じような恋愛をしたから胸打たれた、という事ではないのだ。大体俺はムーンライダーズの名曲『駅は今、朝の中』のワン・フレーズ「僕は卑怯で、憶病者で、君の中にはいられない」という類いの男で、一度でも相手に拒否されればしっぽを巻いて逃げ出すだろうヘタレな自分をよく知っているから、そもそも自分から恋心を露にすることは少なかったし、仮に愛されてもその気持ちに応えられない自分を見つけて、飛び出してしまうような男なのだ。信仰告白をしてどうする。
そんな男であっても、というか男とか女とかという問題ではなくて、人であれば誰もが持ちうる「存在の不安」について、多少の想像を働かせられる人間になった。読みながら描いた映像と、その映像が呼び起こした実体験とが、その成り立ちが異なるまま多少二重写しになって、無駄に胸を打ちつけた。作者=主人公が描く唯一神・篁響子への、恋愛対象とは思えない冷静な描写と、そんな冷静な描写が出来るのにも関わらず、篁響子にストーカー的愚行を繰り返しざるを得ない主人公の描写が、ひどく胸を打った。そのバランスの悪さが片恋のリアルを伝えてくれる。