日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

ぼくはよく話しよく笑ったけれどほんとうは静かなものを愛した

もう一度「モーツァルトを聴く人―谷川俊太郎詩集」を聴き直そう。すると、またあの美しいピアノソナタ第11番が流れてきて、その後にこんな「詩」が谷川俊太郎本人によって朗読される。

騒がしい友達が帰った夜おそく食卓の上で何か書こうとして
三十年あまり昔のある朝のことを思い出した
違う家の違うテーブルでやはりぼくは「何か」を書いていた
夏の間に知り合った女に宛てた「別れ」という題のそれは
未練がましい手紙のようにいつまで書いてもきりがなかった
そのときもラジオから音楽が流れていて
その旋律を今でもぼくはおぼろげに覚えている


そのときはそれでよかったぼくは若かったから
だがいまだにこんなふうにして「何か」を書いていていいのだろうか
ぼくはマルクスドストエフスキーも読まずに
モーツァルトを聴きながら年をとった
ぼくには人の苦しみに共感する能力が欠けていた
一所懸命生きて自分勝手に幸福だった


ぼくはよく話しよく笑ったけれどほんとうは静かなものを愛した
そよかぜ 墓場 ダルシマー ほほえみ 白い紙
いつかこの世から消え失せる自分……


だが沈黙と隣合わせの詩とアンダンテだけを信じていていいのだろうか
日常の散文と劇にひそむ荒々しい欲望と情熱の騒々しさに気圧されて


それとももう手遅れなのか
ぼくは詩人でしかないのか三十年あまり昔のあの朝からずっと
無庇で


 谷川俊太郎そよかぜ 墓場 ダルシマー」(「モーツァルトを聴く人」より)

そよかぜと墓場とダルシマーと、ほほえみと白い紙と「いつかこの世から消え失せる自分」を愛し続ける者に詩は降臨するのだろう、か。詩というのは自愛(ナルシシズム)がなくては書けないと俺に言ったのは、鈴木博文だった。鈴木博文は「ああ詞心(うたごころ)、その綴り方」という“どうしてそんなタイトルになったの?”と言いたくなるような自著で、あがた森魚の「冬のサナトリウム」(いい歌です。日本語のロックを聴ける耳を持ってて良かったと思います。あと例えばGreat3のアルバム「Romance」収録の「R.I.P」とかも)を紹介しながらそう言った。


十九歳十月 窓からたびだち
壁でザビエルも ベッドで千代紙も
涕泣(な)いた


 あがた森魚「冬のサナトリウム」(アルバム“乙女の儚夢”より)

「(注:この歌詞の最後の三行を指して)この最後の部分は僕の心に一生固まっているかもしれない」と、そんな風に鈴木博文は俺に話し出す。「『たびだち』はまさに死であって、『壁にザビエル』とは、壁にかけられたザビエルの肖像画か何かだろうか。『ベッドで千代紙』ということは、サナトリウムで死んでいったのは女性なのか……。言葉が途切れるごとにいろいろと想像力を働かせてしまう。そして一番二番三番の最後だけつなげると、“独人、抱擁て、涕泣いた”と何やら意味ありげな文になる。そこには他者を寄せ付けないほどの自愛が見える。自愛は詩人にとって最も大切な行為である。それがなければ歌うというということも無意味になってしまう」
自愛にかけては人後に落ちない俺だが、もう随分と詩なんて書いていない。そういえば昔マスターと詩の話(ではなくて本当はその頃やられていた穂村弘の短歌、例えば「目薬を怖がる妹のためにプラネタリウムに放て鳥たち」が放つイメージの瞬発力についてのあれこれ)をした時に「せっかくのイメージを物語(小説だったかな)にしないのがもったいない」とか、そんな風にマスターは言っていたような気がする。
俺は詩なら短い詩が好きだし(せいぜい見開きページが二回ぐらいで済む詩)、短歌も俳句も短いから好きだ。たぶん詩も短歌も俳句も(俳句はちょっと違うかも)誰かに言ってもしょうがないような何でもないものが、時間を止められて言葉として保存されているのが好きなのだろう。だってこの気分は何物にも代えられないけれど、誰に言ってもしょうがないものだから。ほらね、やっぱり自愛が顔をのぞかせている。